最近、自殺を思わなかった日はない。やはり自分は精神的な「自殺者」であるとひしひしと感じる。ここで言っておかなければならないことは、本当に自殺を遂げるものだけが自殺者ではないということである。自殺者は生の中にではなく死の中に救済者を見つける。自分にはいつでも死への道が開かれているという考えを、単に青春の憂鬱な空想の遊戯にするだけでなく、まさにその考えから慰めと支柱を築く。非常口がいつでも開いているという考えは、時に生きることへの強みや哲学を見つけ出す。自殺者は、生きている限り自殺への誘惑と戦い続けることを強いられる。精神的な「自殺者」である自分は、たぶん死ぬまで(自殺で終わるか自然死で終わるか分からないが)生きることの憂鬱と悲しみと向かい合い、死への誘惑と戦っていかねばならないんだなあと思う。やれやれ。

高野悦子『二十歳の原点』

学園紛争の時代、独りであること、未熟であることを原点に青春を駆け抜けていった一女子大生の手記。愛に破れ、孤独に打ちひしがれ、その繊細さゆえに二十歳の若さで鉄道自殺を遂げることとなる。これはその死の直前までの日記である。だんだんと心を砕かれ、人間を信じられなくなってしまうその姿が痛々しい。それでも最後まで絶えることのなかった純粋さと詩精神が心を打つ。僕にとって心の書物。

東京に出て思うこと。都市は一個の大病院であると。生きることは病に他ならない。都市はその汚れた空気と雑踏で、病人をさらに蝕む。だんだん人々が皆、自分と同じ苦しみを背負った朋友に思えてきて涙が出そうになる。彼らに言いたい。「お前たちもせいぜい頑張って生きろよ。希望は無いけどな。」と。

NUMB

吹きすさぶ嵐のようなビート、享楽を一切排除した内面的で精神的な音、まさに電子音で表現されたひとつの孤高の哲学と呼ぶにふさわしい作品。全くもってオリジナルな音、その革新性はAutechreやRichard Devineと並び称しても言い過ぎではないと思う。エレクトロニカを語る上でこれは聴くべき作品。ただし、多くの偉大な文学がそうであるように、これを聴き通すのには忍耐力が必要。
NUMB←こちらに詳しい解説があります。

やはり他人に依存してはいけないと思った。いつでも自分を見てくれているとか、愛してくれているとか信じてはいけない。それでは必ず絶望するときがくる。結局肉体をもって隔離された人間同士、分かり合えることなどない。極論、自分など他人にとって「いてもいなくてもいい存在」なのだ。真理は常に悲劇なのだ。必要なのは自分の世界を生きることだ。真理なんてどうでもいい、楽しければいいとか思うのなら、嘘で身を塗り固めて生きればいい。

カミュ『異邦人』

この本を読むのはこれで三度目。初めて読んだときの衝撃はないにせよ、やはり素晴らしい。あらすじだけ読むと悲劇的な作品に思えるのだが、実際読んでみると実に爽快な本である。人間は誰しも死刑を宣告された主人公ムルソーである、生きることは悲劇なのだ。多くの人々はこれに目を背けて生きている。真理を生きる人間はこのことに真っ向から対峙し、それでも人生を愛する。「人生への絶望なくして人生への愛はない」のである。