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最近、自殺を思わなかった日はない。やはり自分は精神的な「自殺者」であるとひしひしと感じる。ここで言っておかなければならないことは、本当に自殺を遂げるものだけが自殺者ではないということである。自殺者は生の中にではなく死の中に救済者を見つける。自分にはいつでも死への道が開かれているという考えを、単に青春の憂鬱な空想の遊戯にするだけでなく、まさにその考えから慰めと支柱を築く。非常口がいつでも開いているという考えは、時に生きることへの強みや哲学を見つけ出す。自殺者は、生きている限り自殺への誘惑と戦い続けることを強いられる。精神的な「自殺者」である自分は、たぶん死ぬまで(自殺で終わるか自然死で終わるか分からないが)生きることの憂鬱と悲しみと向かい合い、死への誘惑と戦っていかねばならないんだなあと思う。やれやれ。
高野悦子『二十歳の原点』
学園紛争の時代、独りであること、未熟であることを原点に青春を駆け抜けていった一女子大生の手記。愛に破れ、孤独に打ちひしがれ、その繊細さゆえに二十歳の若さで鉄道自殺を遂げることとなる。これはその死の直前までの日記である。だんだんと心を砕かれ、人間を信じられなくなってしまうその姿が痛々しい。それでも最後まで絶えることのなかった純粋さと詩精神が心を打つ。僕にとって心の書物。