最近、自殺を思わなかった日はない。やはり自分は精神的な「自殺者」であるとひしひしと感じる。ここで言っておかなければならないことは、本当に自殺を遂げるものだけが自殺者ではないということである。自殺者は生の中にではなく死の中に救済者を見つける。自分にはいつでも死への道が開かれているという考えを、単に青春の憂鬱な空想の遊戯にするだけでなく、まさにその考えから慰めと支柱を築く。非常口がいつでも開いているという考えは、時に生きることへの強みや哲学を見つけ出す。自殺者は、生きている限り自殺への誘惑と戦い続けることを強いられる。精神的な「自殺者」である自分は、たぶん死ぬまで(自殺で終わるか自然死で終わるか分からないが)生きることの憂鬱と悲しみと向かい合い、死への誘惑と戦っていかねばならないんだなあと思う。やれやれ。